「座禅を組んで何をしますか?」
「今に成り切ります」
「今に成り切るとは具体的にどうすることですか?」
「一瞬一瞬に成り切ります」
「一瞬一瞬に成り切るとは?」
「一呼吸に成り切ります」
「一呼吸に成り切るとは?」
「一呼吸をするだけです」
「一呼吸とはどうすることですか?」
「吐くこと、吸うことです」
「それらは全部言葉での説明に過ぎんでしょう。
吐く、吸うの実体は何ですか?」
「・・・」
「では、吸い切ったら次はどうしますか?」
「吐きます」
「そうです。吐き切ったら次はどうしますか?」
「吸います」
「吸うとはどうすることですか?」
(彼は呼吸をしてみせる)
「そうです。それしか無いでしょう。
今までああでもない、こうでもないといろいろ言葉にしたものは全部理屈に過ぎなかったのですよ」
「はあ」
(中略)
「本来自己でないものはないのですよ。ですから【今】自己に催している機能に徹すれば、
それが自己の本来なのです。たちまち一呼吸の今に我を忘れて徹すれば、それで結論が出るのです」
長々と引用してしまいましたがこんな感じのやりとりが続きます。
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